人間というのは残酷な生き物かもしれない

今日は日曜だ。そのため多少気分も楽だ。

今日は何をしよう。いつもその日になってから予定を考える。

しかし、それが人間の本性というか、本来の姿なのかなと思う。

平日に早起きする習慣がつくと、

休日も同じ時間に目が覚めてしまう。

気持ちとしてはもっと寝ていたいのだが、体が反応してしまう。

でも別に悪いことではないからそれはそれでいいのかもしれない。

相変わらず会社というのはおかしなところだ。

特に人間関係が私にとってものすごく嫌。

仕事内容もそうだが、この人間関係も苦痛なのだ。

なぜそんなに好きでもない人にお世辞など話さないといけないのか。

私はもっと自由でいたいのに。

これでは奴隷と変わらないではないか。

今日は曇っている。

いや少し晴れ間もある。昨日の天気が曇り時々雨だったので

少しでも晴れ間があると嬉しい。

まるで人生と同じなのかもしれない。

雨があるからこそ晴れが嬉しいと感じるのだ。

会社では人間関係が苦痛すぎるから

一人でいる時間が愛おしく感じる。

そろそろ将来のこと。今後の人生のことを考えていきたい。

私は今の会社で人間関係にモヤモヤしながら

生きていきたくない。

もっと開放的に自由に生きていきたい。

しかし、そのための方法がよくわからない。

何をすれば良いのか。

私は前から言っているが、作家やライターなど文章を書く仕事をしたい。

しかし、そのためにまず何をするべきか。

どう行動していくのかがあまり明確になっていない。

まず思いつくのは自分の作品を作ることかもしれない。

何でもいい。

何か小説や脚本、詩、イラストでも絵でもいいかもしれない。

何か芸術的なこと、創造的なことをしたい。

ライターもネットで仕事を探すことはできる。

あまり単価は良くないが、自宅で自分の時間で作業できるのは魅力だ。

これが会社だと難しい。

会社では仕事が暇な場合でも拘束される。

これが非常に辛かったりする。もちろん忙しいときの方が多い。

今の仕事はITだが、私個人的には向いてないと思うので

一刻も早く次のステップへ行動していきたい。

しかし、何というかそのための勇気や決断がまだできてない気がする。

いや、無理やり飛び出してしまえばそんなものなくても

自然に前へ進んでいけるのかもしれない。

しかし、ある程度、覚悟や計画は決めておきたい。

もし、退職したとしても失業保険があるから、

半年くらいはなんとかなるかもしれない。

でも、それでもその期間を無題にしないためにも

やるべきことを明確化しておきたい。

私は芸術的な仕事がしたいのかもしれない。

しかし、それは一般的には難しいことだと言われる。

なぜなら、稼げないからだ。

日本では芸術をあまりに下に見過ぎている。

それはお金にならないからだ。

高度な資本主義社会ならではの宿命なのかもしれない。

これがフランスやイタリアだったら事情は変わってくるが。

そのような社会的背景もあって、

日本で芸術家を目指そうとすると周囲の反対がえげつない。

芸術家を目指すことよりもブラック企業で働くことを

なぜか推奨される。それは破滅への道なのに。

あまりに短絡的すぎると私は思う。

もっと長期的に、人生という長い目でみたら

もっと自分のやりたいことをやったほうが良いと最近思う。

いや、絶対そうだと思う。

死ぬときに自分の人生を振り返ったときに

ブラック企業で働いたことを誇りに思えるだろうか。

私にはその自信がない。

むしろ後悔するかもしれない。

自暴自棄に陥る危険性もある。

あんなクソみたいな会社に人生を捧げてしまったと。

そんなことにならないように、人生を前へと進んでいきたい。

そんなにお金にならなくても、自分がやりたいことをやって

多少なりとも満足できればそうれでいいじゃないか。

家族を持てなくても、家を買えなくても

自分が充実感を持って日々を生きていければいいんじゃないかな。

へたに若いころモテてしまったがために

結婚して35年ローンを組んで、子供ができたら

それこそ束縛された人生になってしまう。

もちろん、考え方人それぞれなので、

家庭を持つことが幸せなことだと定義しているなら

そういう人生もありかもしれない。

しかし、私の場合は違う。

私は別に家庭を持つこと、家を買うこと自体に

喜びを見いだせるかわからない。

私の場合は、それよりも自分のやりたいこと

創造的な生き方、自由を追求していきたい。

しかし、それが一体何なのか模索しているところだ。

私は稚拙なりにも文章を書いたり、物語を考えたりすることは

好きなので作家や脚本、ライターに興味を持っている。

だから、それに近づける行動を何かしらしたい。

あらゆる縛りができてしまうと、それこそ会社に従属してしまう。

そうなると会社のいいなり、それこそ奴隷だ。

会社で辛い人間関係に苦しみながら、

家庭を支えるために我慢して働くのは私には厳しい。

もちろん、踏ん張るときもあるが、

それを一番の支えにするのは何か違うと感じる。

別に辛かったら辞めてもいいし、別の方向に挑戦する。

それぐらいの身軽さがほしい。

別に耐えることが美徳ではないと思う。

人間と言うのは良くも悪くも残酷だと思う。

それは慣れというのもあるが、どんなに過酷な環境でも適応してしまう。

会社という人間にとって不自然な空間にも長期間いると適応する。

原始時代に戻れとは言えないが、もっと自然と調和して

創造的に、自由に生きることが人間の本来の姿だと私は思っている。

もちろん、私個人の考えなので違うかもしれない。

でも、少なくても組織で上司の奴隷になって

やりたくないことをやるのは、

どう考えても人間本来の性質とかけ離れているように感じる。

もちろん、それが楽しいと思う人がいるのも確かだろう。

でも、それはほんの一部の人たちだけだろう。

私の場合は違う。もっと究極的に言えば自由が欲しいのだ。

その自由とはなにか。

それは自分の人生を生きることかもしれない。

自分の人生とはやりたいこと興味あることを追求すること。

そのためにはやはり多少のお金が必要なのだ。

でも、私はお金よりも充実感、自由の方が大切だと思う。

もちろん、自分の作品が世に評価される方が嬉しいが、

そうでなくとも、自分で何かを創作すること、

何か形あるものに残すことは、

言葉で言い表すのに難しいほど大切なことなのではないかな。

この残酷な社会ではやはりお金が必要だが、

同時にそれによって多くの自由がもたらされたのも確かだ。

でも、今はそれが限界にきているとも感じている。

会社の人間関係が辛かったら辞めると言って、

自由に動ける社会が欲しい。

そのためにはあらゆる束縛から解放されて身軽にしていきたい。

そして、もっと自分らしく生きていきたい。

別に世間体とか評価とか、それよりも自分がどう感じるか。

それが大切だと私は考えている。