人間というのは残酷な生き物かもしれない

今日は日曜だ。そのため多少気分も楽だ。

今日は何をしよう。いつもその日になってから予定を考える。

しかし、それが人間の本性というか、本来の姿なのかなと思う。

平日に早起きする習慣がつくと、

休日も同じ時間に目が覚めてしまう。

気持ちとしてはもっと寝ていたいのだが、体が反応してしまう。

でも別に悪いことではないからそれはそれでいいのかもしれない。

相変わらず会社というのはおかしなところだ。

特に人間関係が私にとってものすごく嫌。

仕事内容もそうだが、この人間関係も苦痛なのだ。

なぜそんなに好きでもない人にお世辞など話さないといけないのか。

私はもっと自由でいたいのに。

これでは奴隷と変わらないではないか。

今日は曇っている。

いや少し晴れ間もある。昨日の天気が曇り時々雨だったので

少しでも晴れ間があると嬉しい。

まるで人生と同じなのかもしれない。

雨があるからこそ晴れが嬉しいと感じるのだ。

会社では人間関係が苦痛すぎるから

一人でいる時間が愛おしく感じる。

そろそろ将来のこと。今後の人生のことを考えていきたい。

私は今の会社で人間関係にモヤモヤしながら

生きていきたくない。

もっと開放的に自由に生きていきたい。

しかし、そのための方法がよくわからない。

何をすれば良いのか。

私は前から言っているが、作家やライターなど文章を書く仕事をしたい。

しかし、そのためにまず何をするべきか。

どう行動していくのかがあまり明確になっていない。

まず思いつくのは自分の作品を作ることかもしれない。

何でもいい。

何か小説や脚本、詩、イラストでも絵でもいいかもしれない。

何か芸術的なこと、創造的なことをしたい。

ライターもネットで仕事を探すことはできる。

あまり単価は良くないが、自宅で自分の時間で作業できるのは魅力だ。

これが会社だと難しい。

会社では仕事が暇な場合でも拘束される。

これが非常に辛かったりする。もちろん忙しいときの方が多い。

今の仕事はITだが、私個人的には向いてないと思うので

一刻も早く次のステップへ行動していきたい。

しかし、何というかそのための勇気や決断がまだできてない気がする。

いや、無理やり飛び出してしまえばそんなものなくても

自然に前へ進んでいけるのかもしれない。

しかし、ある程度、覚悟や計画は決めておきたい。

もし、退職したとしても失業保険があるから、

半年くらいはなんとかなるかもしれない。

でも、それでもその期間を無題にしないためにも

やるべきことを明確化しておきたい。

私は芸術的な仕事がしたいのかもしれない。

しかし、それは一般的には難しいことだと言われる。

なぜなら、稼げないからだ。

日本では芸術をあまりに下に見過ぎている。

それはお金にならないからだ。

高度な資本主義社会ならではの宿命なのかもしれない。

これがフランスやイタリアだったら事情は変わってくるが。

そのような社会的背景もあって、

日本で芸術家を目指そうとすると周囲の反対がえげつない。

芸術家を目指すことよりもブラック企業で働くことを

なぜか推奨される。それは破滅への道なのに。

あまりに短絡的すぎると私は思う。

もっと長期的に、人生という長い目でみたら

もっと自分のやりたいことをやったほうが良いと最近思う。

いや、絶対そうだと思う。

死ぬときに自分の人生を振り返ったときに

ブラック企業で働いたことを誇りに思えるだろうか。

私にはその自信がない。

むしろ後悔するかもしれない。

自暴自棄に陥る危険性もある。

あんなクソみたいな会社に人生を捧げてしまったと。

そんなことにならないように、人生を前へと進んでいきたい。

そんなにお金にならなくても、自分がやりたいことをやって

多少なりとも満足できればそうれでいいじゃないか。

家族を持てなくても、家を買えなくても

自分が充実感を持って日々を生きていければいいんじゃないかな。

へたに若いころモテてしまったがために

結婚して35年ローンを組んで、子供ができたら

それこそ束縛された人生になってしまう。

もちろん、考え方人それぞれなので、

家庭を持つことが幸せなことだと定義しているなら

そういう人生もありかもしれない。

しかし、私の場合は違う。

私は別に家庭を持つこと、家を買うこと自体に

喜びを見いだせるかわからない。

私の場合は、それよりも自分のやりたいこと

創造的な生き方、自由を追求していきたい。

しかし、それが一体何なのか模索しているところだ。

私は稚拙なりにも文章を書いたり、物語を考えたりすることは

好きなので作家や脚本、ライターに興味を持っている。

だから、それに近づける行動を何かしらしたい。

あらゆる縛りができてしまうと、それこそ会社に従属してしまう。

そうなると会社のいいなり、それこそ奴隷だ。

会社で辛い人間関係に苦しみながら、

家庭を支えるために我慢して働くのは私には厳しい。

もちろん、踏ん張るときもあるが、

それを一番の支えにするのは何か違うと感じる。

別に辛かったら辞めてもいいし、別の方向に挑戦する。

それぐらいの身軽さがほしい。

別に耐えることが美徳ではないと思う。

人間と言うのは良くも悪くも残酷だと思う。

それは慣れというのもあるが、どんなに過酷な環境でも適応してしまう。

会社という人間にとって不自然な空間にも長期間いると適応する。

原始時代に戻れとは言えないが、もっと自然と調和して

創造的に、自由に生きることが人間の本来の姿だと私は思っている。

もちろん、私個人の考えなので違うかもしれない。

でも、少なくても組織で上司の奴隷になって

やりたくないことをやるのは、

どう考えても人間本来の性質とかけ離れているように感じる。

もちろん、それが楽しいと思う人がいるのも確かだろう。

でも、それはほんの一部の人たちだけだろう。

私の場合は違う。もっと究極的に言えば自由が欲しいのだ。

その自由とはなにか。

それは自分の人生を生きることかもしれない。

自分の人生とはやりたいこと興味あることを追求すること。

そのためにはやはり多少のお金が必要なのだ。

でも、私はお金よりも充実感、自由の方が大切だと思う。

もちろん、自分の作品が世に評価される方が嬉しいが、

そうでなくとも、自分で何かを創作すること、

何か形あるものに残すことは、

言葉で言い表すのに難しいほど大切なことなのではないかな。

この残酷な社会ではやはりお金が必要だが、

同時にそれによって多くの自由がもたらされたのも確かだ。

でも、今はそれが限界にきているとも感じている。

会社の人間関係が辛かったら辞めると言って、

自由に動ける社会が欲しい。

そのためにはあらゆる束縛から解放されて身軽にしていきたい。

そして、もっと自分らしく生きていきたい。

別に世間体とか評価とか、それよりも自分がどう感じるか。

それが大切だと私は考えている。

会社の飲み会が嫌すぎる

世間のみんなはどう思うかわからないが

私は飲み会が嫌い。特に会社の飲み会が嫌い。

本当に行きたくない。

あんなのに行きたいなんてみんたどMなのかもしれない。

まずお金を出してまで、終業後の時間を使ってまで

飲みに行くのが苦痛だ。

しかも大抵の場合、大して面白くない。

最悪の場合、説教を喰らうこともあるし、

同僚からバカにされることも珍しくない。

こんなのに決して安くないお金を払って参加するなんて

なんの罰ゲームなんだろう。

金曜の飲み会なら翌日休みだから参加することもあるが、

それ以外の日は止めてほしい。

もし開催するとしても参加しない。

参加したら翌日出勤できる自信があまりない。

二日酔いの中、仕事しても集中できないだろう。

そもそも今の仕事向いてないんだし。

激しい頭痛のなかコーディングするなんて私にはできない。

はっきり言って如何にサボるかに集中せざるを得ない。

それにしても今日観た映画は面白かった。

久々の映画だったが癖になりそうだ。

また映画館で何か作品を鑑賞したい。

しかし、そのためにはお金が必要だ。

大体2000円くらいで映画鑑賞できるが、そのためには

何とかしてお金を稼がなくてはいけない。

この2000円という額は飲み会の費用より安い。

店によるかもしれないが、都内の場合は3000円以上することがほとんどだ。

しかし、私は今までそれに見合った対価を得たことがない。

3000円払っても得られるのは二日酔いくらいだ。

むしろ失うものの方が多いだろう。

人からバカにされるし、貴重な時間は取られるし、

お金は掛かるしで悪いことの方が多い。

私の場合は飲み会に行って親睦を深められたことがない。

第一会社のメンバと飲みに言って親睦を深めなくても良いと思っている。

別に私は会社は金を稼ぐ手段としてしか見ていない。

それ以上でも以下でもない。

別に社内のなれ合いに参加しようとも思ってない。

それで不利益を被っても仕方ない。出世したいとも思ってないし。

出世したところでたかが知れているし。

そんなことよりもっと自分が興味あることをやっていきたい。

それで生活できるのが理想なんだが。

そのためには何か行動しなければならない。

具体的には私は文筆業に興味がある。ライターとか脚本などの仕事だ。

その仕事にも苦悩は付き物だが、まだ興味がある分やっていける気がする。

そもそも今の仕事を選んだのは将来性がありそうだからだ。

ITという分野は未来を感じるし、職に困らないと思った。

事実そうだと思うし、今後無くなることがないだろう。

しかし、あまり面白くない。

別にコンピュータが嫌いという訳ではない。むしろ興味があるが、

日本のIT業界構造に嫌気がさしたのだ。

SESとか派遣とか下請けとか鬱とか、

あまりいいウワサを聞かない。

いやウワサというよりそれが事実なんだが。

別になんで日本のIT業界がここまで腐敗しているかは

ここで述べようなんて思わない。

私にもそれはよくわからないし。

なぜGoogleAppleAmazonみたいにクールな企業が誕生しなかったのか。

それは日本人の気質や社会構造など、いろんな要因があるかもしれない。

日本人はみんな真面目すぎるんだ。

大麻だって禁止しているし、それでは

良くも悪くもぶっ飛んだ発想なんて生まれないだろう。

まぁ正直よくわからない。

すくなくとも日本のITに未来はないということはわかったので

私は本当にやりたいことに挑戦していきたい。

どうせ人間はいつか死ぬのだから。

こんなIT業界の奴隷で死ぬくらいなら、

興味あることやって、何か作品を残してこの世を去っていきたい。

もはや世間体なんてぶっ飛ばしたい。

こんな考えに縛られているから私は動けないんだ。

どうしたらこの呪縛から逃れられるのだろうか。

まず会社の飲み会が嫌。それは目先の問題だが。

そんなもの行かなくていい。貴重な時間の無駄だ。

そのお金があれば、映画を1本観れる。本だって買える。

その方が価値あると思う。

それに自分の心の栄養になる。貴重な精神的財産になる。

しかし、会社の飲み会はそんなことない。

あれは精神をむしばみ、鬱への道だと思っている。

みんな躍起になって接待だの、おべっかだの、枕営業だのしてるが、

そんなことして何になるのだろうか。

私はそれで幸せになれると思ってない。

むしろ疲れるだけだから行きたくない。

それに飲み会は席が狭くて窮屈で本当に嫌なのだ。

やっぱりみんなどMなのかな。

それとも私が異端なだけなのかな。

世間の人は純粋にお酒が好きて参加しているのか、

私にはわからない。

私は別にお酒も好きじゃないし、飲むことはできるが。

別に酒飲みたければコンビニで買って家で好きなアニメでも見ながら

飲んだ方が楽しいだろう。

むしろ私は人と話すのがこの上なく苦痛だ。

喋ると疲れるので一人じっくりと晩酌したい。

それ自体は好きだ。

別にお酒を否定していない。私もお酒はたまに飲む。

ただ、あの宗教じみた飲み会というイベントが嫌いなのだ。

参加しないと反逆者として見られ、会社では変な扱いをされる。

それが意味がわからない。

まるでやっていることはヒトラースターリンと変わらない。

反逆者に容赦なく制裁しているのだから。

もちろん殺人までしないが、会社にいずらくなる環境になるのだから

本質的には変わらないかもしれない。

まぁ別に私はそれでもいいが。

所詮会社はお金を稼ぐための機関だとしてしか思ってない。

別に社内の親睦だと友情だのを求めてない。

というかそんなのないと思っている。

用済みと思われたら容赦なく解雇するなり左遷するだろう。

所詮そんなものなんだ。資本主義社会なんて。

別に今の社会構造を全て否定はしないが、問題もあるだろう。

特にITとか介護とか保育とか。本当に社会に必要な職種に限って

劣悪すぎるのだ。

これが日本と言う先進国で起きていることが信じられない。

まずは日本の未来より自分の心配をしたい。

映画を観る予定

今日は土曜なので幾分気持ちが楽だ。

それに3連休なので楽しみである。

今日は映画を観る予定だ。

映画館に行くのは4年ぶりくらいかもしれない。

それくらい映画を観ていない。

普段TVでは観ているが、映画館まで足を運ぶことはない。

昨日の話だが、やはり仕事はつまらないものだと感じた。

人間関係が結構苦痛なのだ。

やたら人からバカにされるし、自分のスキルのなさなど露呈する。

自分は一人で作業したいのかもしれない。

でも一人で作業したら、不明点は誰に聞いたらいいのだろう。

そういう不安もある。

でもそれを差し引いても自宅で一人作業できるほうが

個人的には幸せだと思う。

職場でやたらちょっかいされたり、影ごとを言われたりするのは

気持ちのいいものではない。

私は道徳的に生きているのに避けられる。

私がいったい何の犯罪をしたというのだろうか。

迷惑をかけただろうか。

少なくとも私が知る限りそんなことをした覚えはない。

スキル不足はあるかもしれないが、

真面目にやってきたつもりだ。

きっとそこが報われないのが会社員の辛いとこかもしれない。

もしかしたらフリーになってもそこは変わらないかもしれないが。

でも会社員の理不尽の闇深さを知った今なら

今後10年以上この生活を続けようなどと思えなくなる。

辞めれるもんなら今すぐ辞めたい。

お金も問題もある。

要は生活できるか不安があるのが心配なんだ。

それさえ払拭できれば今すぐ行動に移せるのに。

だが、そんなタイミングは来ないかもしれない。

そのタイミングはいったいいつなのか?

自分がどう判断したら行動できるのか。

それがわからない。

いつまで経っても今のままかもしれない。

しかし、それは嫌だ。

私は自分の興味あることを追求したい。

わかっていることは今の仕事を未来永劫やっていきたいと

思ってないことだ。

いずれ決着をつけなければならない。

このままいけば2030年、2040年も今のままだ。

それ以前にそこまで働けるだろうか?

解雇されるかもしれない。

いや、もしかしたらそのほうが幸せなのか?

無理やり背中を押してもらったほうが行動に移せるから。

でも、そんな不可抗力で進むより自発的に動きたい。

それにある程度準備したい。

その準備とは何なんだろうか。

正直、私は何になりたいのだろうか。

私は30代だが今から新しいことに挑戦して生きていけるのか。

そういった漠然とした不安がある。

でも、今のままでも同じように年月は過ぎていく。

だったら自分のやりたいことをやったほうがいいじゃないか。

今の仕事生活で一生を終えるよりかは遥かにましだ。

今の状況を打破したい気持ちだけは強い。

でもその後の計画はまだ決まっていない。

どうしたらいいのだ?

私はライターや脚本、作家として働くことに興味がある。

もちろんそういった職業にも悩みはあるだろう。

でも、私は自分の文章で何かを生み出すこと、伝えることに興味がある。

何か作品を作りたい。文章で何か気持ちを伝えたい。

そういう気持ちというか情熱みたいなものは持っている。

どういう方向に興味関心があるかはある程度わかっているが

本当にそれが自分が進むべき方向なのか不安があるのだ。

でも、それ以外に自分がやりたいことが見つからない。

強いて言えば布団の中で眠るやネットサーフィン、読書などあるが、

それよりももっと何かを世に伝える仕事がしたい。

別に大きな仕事をしたいということではない。

自分の興味に沿う仕事をしたいのだ。

今の仕事もエンジニアとして製品を作る仕事をしているが

なぜか充実感などを感じない。

それは日本のITの社会構造にあるかもしれない。

悪しきSESや常駐、請負など、命令されたり、社内との人間関係などが嫌なのだ。

せめて欧米みたいに多少自由度があれば

もっとよかったかもしれない。

でも、この仕事をしたからこそ他の道に進もうと

気持ちを切り替えることができた。

今の仕事に満足していたら、きっとこういうことを考えなかっただろう。

そういう意味では感謝している。

でも辞めたい気持ちは変わらない。

私は自分のやりたいことをやっていきたい。

人生の迷い

今日も晴れているが、私の気持ちはなぜか曇っている。

今のままでいいのか。

間違いなく言えるのは今の仕事をずっと続ける気はないということだ。

遅くても3年以内には辞めているだろう。

なぜか。それは私にもはっきり言えないが、

やりたい仕事ではないからだ。

IT系の仕事だが、なぜかやりがいや充実を感じない。

そもそも私はITに興味がないのかもしれない。

あと社内の人間関係も嫌になってきた。

私は一人で黙々とやっていきたい。

それが私の性格に合っているような気がする。

でも自分が何をやっていきたいのかわからない。

今のところライターや脚本に興味がある。

私に文章力があるかは疑問だが、文章を書くこと自体は好きだ。

あとそれで生活できるかの不安もある。

しかし、それはやってみないとわからない。

ずっとこんなことばかり考えている。

仕事中もそのことを考えている。

いつライターとして出発していこうか迷いがある。

今の仕事を正直に言うと、すぐにでも辞めたい。

きっとその方がいいのだろう。

この気持ちのまま仕事をすれば、周りにも迷惑がかかる。

それに自分自身のためにもならない。

親にも心配をかけるかもしれない。

でも周りを気にしていたら前に進めない。

でも今のままでもいけない。

私はどうしたらいいのだろうか。

今の仕事だってずっとやりたくない。

毎日が曇っている。

今の時期、天気は良いが私の気持ちはどんよりしている。

何がベストなのかわからない。

もう何もかも捨ててしまいたい。

世間体とか。人間関係、評価などなど。

結局は自分がどうしたいか。

それが全てなのかもしれない。

毎日が憂鬱な気持ちなので、作業にも集中できない。

いつも仕事を辞めることを考えている。

いつ辞めるか、辞めた後はどうするか。

そのことをずっと考えている。

辞めた後、自分の興味あることで生活できるか

本当に心配はそこだけなのかもしれない。

もしかしたら、私は何がしたいのか

わかってないのかもしれない。

文章を書くことに興味があるのは確かだけど

それを仕事にしたいと思っているかわからない。

でも小説や脚本には興味がある。

それで生活できたら幸せだと思っている。

しかし、そのための方法がわからない。

それでモヤモヤしている。

自分は何をしたら良いのか?

毎日ただ寝ていたいのか。

散歩していたいのか。

読書していたいのか。

アニメをずっと観ていたいのか。

やりたいこと自体はたくさんある。

ただ、それだけで生きていける訳でないことも知っている。

当然お金が必要なのだ。

私みたいに内向的な性格な人は会社で働くことに嫌気がさしているかもしれない。

私が現にそうだし、ずっと会社という組織で

働いていこうとは思ってない。

いずれは辞めるつもりである。

しかし、その辞める時期がわからない。

退職はいつでもできるが、そのためには将来の方向性など

決める必要がある。

辞めた後、失業手当をもらうこともできるが、それは一時的なもので

いずれはどうしたいか考えなければならない。

失業手当期間中に考えるのもありかもしれない。

しかし、それでは時間を無駄にしてしまうリスクもある。

どうせなら辞める前にはっきりしておきたい。

今のところ、2019年6月末に辞める予定ではいる。

ボーナスも貰えるし、区切り的にちょうどいい。

新時代の幕開けと同時に、私自身も何か新しいことを始めたい。

今は1月なので考える時間はあるのだが、

退職を伝えるとなると4月末までには決めたい。

そう考えるとあと3ヶ月ほどしかない。

その期間に方向性を決め、生活のあてなども

確保しなければならないだろう。

正直それが一番難しいのだが。

憂鬱な朝

何だか今日は憂鬱だ。朝はなぜか憂鬱な気持ちになる。

仕事にも行きたくない。年明けのせいもあるかもしれない。

仕事の内容が変わったストレスもあるかもしれない。

それに日本のIT業界はもう疲弊しきっている。

特にSESという形態は諸悪の根源だと思う。

私はいったい何がしたいのだろうか?

それがよくわからない。だから苦しい。

本能的な面でいうと、ずっと寝ていたい。

ベッドの中でぬくぬくと過ごしていたい。

でもそれもすぐに飽きるだろう。

だからもっと積極的になれることをやりたい。

それがわからないのだ。

強いて言えば、ライターとか小説、脚本などの仕事がしたい。

私は30歳を過ぎているが折角の人生なら挑戦したい。

幸か不幸か私は独身で特に借金も背負っていないので身軽ではある。

なのでいつでも動ける状態だ。

でもやはり何か行動を起こすのは、漠然とした不安が付きまとう。

なぜ不安になるのか私にもわからない。

きっと成功する保証がないからだろう。

成功することが決まってれば誰だって行動するはずだ。

しかし、そんなものはわからない。

実際に動くしかないのかもしれない。

あと地方移住にも興味がある。

山や海があるところがいい。

でも生活はきっと不便だろう。

しかし、よくよく考えれば私が生きていくのに

どれだけのお金が必要なのだろうか?

少なく見積もっても15万あれば何とか生きていけるかも。

その15万を稼ぐのが意外にも辛いところではあるのだが。

どうやったら生活費を稼げるのか?

でもそれだけの生活費なら職種や労働形態に拘らなければ

何とかなるかもしれない。

それだったら自分のやりたいことに挑戦できる余裕が

生まれるかもしれない。

あと、今もITの仕事をやっているが、

あまり躍起にならず生活費程度を稼ぐ手段だと割り切って

生きる方が楽かもしれない。所詮日本のITなんてそんなもんだしな。

どんなに働いても搾取されるのがオチになっている

日本の資本主義社会でもいかにサボるかが大事なスキルでもある。

だから、ある程度不真面目な方が良かったりする。

真面目にやっても給与も右肩上がりする訳でもない。

だったら今の仕事を金を得るためのモノと割り切り、

自分のやりたいことに積極的になったほうがいいかもしれない。

でも、一番の問題は時間がとれないこと。

それが辛い。せいぜい一日2時間取れれば良いとこ。

それに仕事終わりだから疲労感もある。

そう考えるといっそのこと辞めた方が良いような気もする。

でもそうなると今度はお金の心配もある。

生活費をどう稼げばいいのか。

バイトや派遣で生きる方法もある。

折角なら週3や4日労働がしたい。それで15万くらい稼げればいいのだが。

あとどうせならライターや脚本に繋がる仕事がしたい。

そうなるとネット上で仕事ができる仕組みが必要だ。

今でいうとランサーズとかに登録して仕事を請け負ったりすれば

多少は稼げる。しかし、単価が安すぎる。

でもまずは量をこなせば5万円くらは行けるのではないだろうか。

それ以外のお金は他のことで稼げばいいかもしれない。

賃労働とライターの二束のわらじ生活。

これが本当に成り立つのだろうか。

私には正直わからない。

でもやってみたいとわからない。

私は今行動するべきなのだろうか。

あ~頭の中がモヤモヤする。

仕事を休んでずっと寝ていたい。

こんな社会を作った人は責任を取るべきだ。

かなり罪深い。いくら治安や生活が便利な国でも

労働が辛すぎてそれらのメリットを打ち消している。

むしろ、多少治安が悪くて、生活が不便でも

労働が楽な国の方がいいかもしれない。

一番いいのは日本で自分がやりたい仕事をすることだ。

しかし、それが今一よくわからない。

自分が何をやりたいのか。

少なくとも今の仕事をこれから5年、10年もやるつもりはない。

多分辞めてるだろう。

辞めてどうしたいかが問題なんだ。

今はまさに彷徨っている状態。

少なくとも今の仕事をやり続けたいと思っていないのは確かだ。

今興味あるのは先に言ったライターや脚本について。

その仕事をやるためにどうスタートを切ったら良いのか

模索している段階でもある。

まずは副業から始めるしかないのか。

そのためには時間を確保するしかない。

朝と夜のどっちか。どうせなら朝のほうがいいかな。

まずライターの仕事があればの話だけれども。

朝の方がスッキリしているし、疲労も取れている。

あと出勤までのタイムリミットがあるから集中力も上がると思う。

それよりまずライターとして動くために何をするべきか。

まずはこれとは別に私個人のブログを立ち上げよう。

ポートフォリオ的なブログだ。私と言う人間をわかってもらうために

新たなメディアを作るところから始めてみたいと思う。

そのブログに自分の思ったことや小説や詩などの創作物なども載せる。

そしてそれを元に営業する。

そうすれば、もしかしたら何か仕事に繋がるかもしれない。

結局は何か行動することが大切なのかもしれない。

都会の空は意外に綺麗

東京の空は霞んでいて汚いと良く言われるけど、季節時間帯によっては美しく見えるときもあります。特に空気が澄んだ冬は地方と変わらないほど綺麗だと感じます。夕空が綺麗で、見ていると何か懐かしい気持ちになります。

また、綺麗に感じるのは見ている人の心理的な作用も関係しているかもしれません。都会で暮らしていると自然に触れ合う機会が少ないので、空や海、植物など自然なものに触れるとそれが美しいものに頭の中で変換されます。

きっと毎日、大自然の中で暮らしている人は海や空などの自然の美しさに感動することを忘れ、慣れてしまうのでしょう。それは、若いときに東京に憧れ、上京したは良いものの数ヵ月後には都会の刺激に慣れて感動が鈍ってしまうのと同じ感覚なのかもしれません。ちなみに私は埼玉県東部の出身なので田舎から上京する人の気持ちはわかりません。あくまで一般論で書きました。

普段仕事が忙しいと自然に触れ合う機会がないので、より自然なものに価値を見いだせるようになります。私は学生の頃、よく山や海に行ってました。頻繁に行ってたので次第に感動が薄れてきてしまうのです。しかし、就職してからというもの毎日の生活に追われ自然を楽しむ頻度が少なくなってしまいました。そんな日々の中で、手軽に自然に触れ合うのは季節の移り変わりだったり、雲の形だったり、小鳥のさえずりだったりするわけです。

田舎に住んでいればこういったものは些細なことかもしれませんが、都会暮らしが長くなるとこういった自然との触れ合いも価値あるものに感じます。そのため、東京の空が汚いと言われても、私には綺麗に感じます。確かに相対的には田舎の空の方が綺麗かもしれませんが、結局は見る人に寄るのかもしれません。

ノスタルジックという表現がありますが、それは自然に対する人間の心理状態を表したものだと思います。同じ現象でも人によっては解釈が異なり、対象が何であれ、過去との比較や悩みなど持っている場合においてノスタルジックな感情が呼び起こされるのではないしょうか。

もしかしたら、普段から前向きで、俗にいう体育会系と呼ばれる方たちは、このノスタルジックな気持ちがわからないのかもしれません。競争熱心で闘争心溢れる精神力を持ち合わせている場合、自然の魅力を考える余裕がないことも考えられます。もちろん、人それぞれなので必ずしも当てはまる訳ではありません。

都会の空が綺麗かどうかは結局のところ、それは見る人の心理状態に左右されると私は考えています。都会で仕事をバリバリやっていきたいと考えている方はそこに思いを馳せることはないかもしれません。しかし、悩みや問題を抱えている方には自然に触れることで過去の楽しい思い出などが呼び起こされ、結果的に空や草木などを美しいと思えるのではないでしょうか。

携帯電話は本当に必要なのか

日常生活において携帯電話を使うシーンは多いと思います。

友人や家族とのお喋り、LINE、ゲームなどあらゆる目的で使用しています。しかし、その携帯端末(スマホ)は本当に必要なのでしょうか。実はなくても生活できるのではと思ったので、その点について自分の意見を書いていきます。

まず、私についての紹介ですが、現在独身で男性、一人暮らしをしています。さらに私には友達や恋人はいません。東京在住で普通の会社員です。年収も平均ほどです。

普段の生活で特に携帯を使う機会が実はそんなにありません。それは私だけかもしれませんが、特に友達や恋人など人間関係が希薄な人は外出先で連絡を取ることがまず少ないのです。LINEとかも自宅のWIFIに繋いで、連絡があるかどうか確認するくらいです。

そのため、現在はキャリア契約してますが、外でスマホを見ることも少ないですし、電話があっても出ることはまずありません。結局自宅に帰ってから確認しています。外出先で携帯を使うことが少ないので、少なくとも完全に携帯電話を持たないというよりは格安SIMを契約して使うのが賢明なのではと思いました。

または、もしもの時のためにプリペイド携帯を持つのも選択肢の一つとしてはありかもしれません。しかし、個人的には複数台の端末を持ち歩くのは面倒なのでこの選択はないでしょう。そう考えるとキャリアを解約するか格安SIMにするかのいずれかです。

格安SIMなら安くても1000円くらいでしょうか。もちろん会社にもよりますが、一番安いプランで契約すれば携帯代も節約できます。

携帯電話が必要かどうかは個人のライフスタイルによるので何とも言えませんが、私の場合は外出先で連絡を取ることが稀なので、基本的に不要ですが、万が一の時の為には連絡を取りたいので格安SIMがベストかなと思います。